あの日

2011年3月11日 東日本大震災 私見・意見
2011年3月11日 東日本大震災

あの日、東京の3階建ての小さな家を3人でシェアして住んでいた。
所謂、ペンシルハウスだったからかなりの揺れを感じ、倒れそうなPCとTVのモニターを左右の手で支えながら足を踏ん張り揺れの治まるのを待った。

シェア仲間の1人は帰宅しようにも電車が動かないと連絡してきた。
電車は危険だから時間かかってもバスを乗り継いで帰るよう伝えた。

TVから流れる映像は信じ難い光景を伝え、『こんなことが起こるとは…』と同じ言葉を繰返しながら見ていた。

あの日から12年が過ぎた。

これまでに、「信じられない」光景を三度TVで目にしてきた。

1995年1月17日 阪神淡路大震災
 朝、出勤したオフィスで小さなTVに映る映像を同僚が見ていた。
 何事かと覗き見たとき、住み馴れた神戸の街が破壊され火事になっていた。

2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件
 その日、勤務先本社(英国)の上司が来日、夕食を共に食べた後、遅い時間に帰宅。
 TVから流れる映像は静止画のようにWTCのビルから流れる煙が確認できる遠景だった。

2011年3月11日 東日本大震災
 狭い部屋の左に机、右ベッド下にTV、左右の手で支えて倒れるのを耐えた。
 その後、TVに映る洪水で流される家屋や人々の姿に息をのんで観るしかできなかった。


これ以外にも湾岸戦争の際のイラクへの空爆の映像、そしてウクライナへのロシアの侵攻の映像、など報道がなすべきことをし伝えてきたものは、感動だけでなく悲劇的なことも数多いとあらためて認識させられた。そして、その悲劇は個々の出来事の被害者・当事者だけでなくその家族を含めた多くの人々の平和な日常を破壊するものだと思う。

直接的な当事者ではない私は何をなすべきか判らないまま10年、20年と生きてきた。
せめて記憶に留め、遅くないのだから何か出来ることをするためにシェアさせていただきます。

アイキャッチ画像の説明
U.S. Navy photo – 画像データはアメリカ合衆国海軍が ID 110312-N-0000X-003 で公開しているものです。 
海老名市民から寄付された1500ポンド(680kg)の食料を携え、M9.0を記録した東北地方太平洋沖地震被災地の救援に向かう、厚木海軍飛行場・第14対潜ヘリコプター隊(HS-14)「チャージャーズ」のSH-60B津波で水没した仙台港付近上空)。

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